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2016年2月17日水曜日

受け容れる

どんなにしても、どうしようもないことが起きます。自分も20代30代にかけてどうしようもないことがたくさん起こりました。もがいたり抵抗したり反発したり。だが、しかし、どうしようもないことが起きます。その底に居たとき、ものを考えることもできなかった。ただ、在ることだけを感じていました。ここに、自分は在るなあ、と。底って在るんです。手も足も出ないけれど、底。底では、眼だけになる。眼で、在ることを感じていました。それだけは確実でした。なるほどそうだな。そうしていると、右か左かを決める選択肢が与えられます。自分は、その選択の時間を試しの時間と呼んでいました。いろいろな状況の中で、右か左かを決める選択をします。選択が正しければ、階段を一段上がります。その選択を何回も何回も繰り返して、最後の一段を上がったとき扉が開きました。扉が開いた時の自分の感覚は、全く嬉しくはなかったです。これからの毎日が大変であることを予期していたからです。それでも毎日は続きます。その毎日が今につながっているわけです。

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