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2016年3月25日金曜日

御意のままに

いかようにも、御意のままに。やるべきことを積み重ね、向き合うことを積み重ねていると、どう受け取られてしまっても大丈夫になっていくと感じています。本来の姿やあるべき方向などを見失っても、すっと浮かび上がるような具合です。自分の奥にある本性というか、芯から自然と動き出す、そんな感覚。

2016年3月18日金曜日

自在感覚と大きな流れのようなもの

個人としての自分の感覚と大きな流れのようなものが符合してくると、やりたいことと、やるべきことが一致します。そうなるなあ、当然そうだよなあといった感じです。ミクロの自在感覚とマクロの大きな流れのようなものがシンクロするという具合です。息をしっかり吐く。自在と大きな流れのようなものは同じであると感じると、自己存在の意味を息咳切って自答する必要が無くなるわけです。そうすると、内発的にやるべきことが浮き上がってきます。そこでやるだけです。決してそこには、できない理由が並ぶことはありません。

2016年3月16日水曜日

流れに添う

今思うと、そういうことだったのかと感じたりします。しかし、その真っ只中にいる時は往々にして、何故か解らないことがあります。その時自分がしたがっていたのは、大きな流れのようなものです。物事には理といいますか、大きな道理というものがあり、その方向は水の流れのように上から下に流れるその流れに添う。そうすると、ある瞬間に止まっていたことが動き始めます。

2016年3月14日月曜日

ひとを見ず、受け止める

ひとを見ず、受け止める。好悪やおかしさや悲憤やもたげるものはあります。「あなた、10年黙っていたことがあるでしょう。あなたの眼を観れば分かるわ。いろいろなものを切り捨ててきたのよね。だから、一緒に仕事をしましょう。」その言葉から、自分の人生は反転しました。その沈黙の積み重ねと義憤の鬱積と絶え間ない決断と。起きていることに、これから起こすことに意味があるのだから。

2016年3月5日土曜日

場のつくるもの

自分はものだ、と思うようにしています。大切なことは、場のつくるもの。そこに、自分の意味とか自己主張とか、本当に不要であると。場の一部である自分と感じる。現今目前の場が、次をつくっていく。自分がどうあるかとか、どんな存在かであるかなどの意味付けをしない。実現する結果こそが本当に大切なものであるから。