Translate

2016年2月27日土曜日

向き合うべき時に向き合うべきことに向き合う

大きな流れの中で、節目に合います。その時が向き合うべき時です。向き合うべき時に向き合うべきことに向き合う。己を空しくして在る自分を示す。ここで大切なことは、向き合うべきことに向き合うこと。すなわち、向き合うべき相手ではありません。ひと対ひとになると、感情や状況に左右され本質から外れて行くからです。問題は、解決しない。問題は、問題としてそのままにしておく。むしろ、問題を問題としてそのまま受け容れた上で、これからどうするかという「こと」を決める。そこに向き合うと、相対的に問題は問題では無くなっていくわけです。

2016年2月17日水曜日

受け容れる

どんなにしても、どうしようもないことが起きます。自分も20代30代にかけてどうしようもないことがたくさん起こりました。もがいたり抵抗したり反発したり。だが、しかし、どうしようもないことが起きます。その底に居たとき、ものを考えることもできなかった。ただ、在ることだけを感じていました。ここに、自分は在るなあ、と。底って在るんです。手も足も出ないけれど、底。底では、眼だけになる。眼で、在ることを感じていました。それだけは確実でした。なるほどそうだな。そうしていると、右か左かを決める選択肢が与えられます。自分は、その選択の時間を試しの時間と呼んでいました。いろいろな状況の中で、右か左かを決める選択をします。選択が正しければ、階段を一段上がります。その選択を何回も何回も繰り返して、最後の一段を上がったとき扉が開きました。扉が開いた時の自分の感覚は、全く嬉しくはなかったです。これからの毎日が大変であることを予期していたからです。それでも毎日は続きます。その毎日が今につながっているわけです。

2016年2月14日日曜日

木を決める

動かない木を決める。30歳の頃、日曜日の夕方は走るようにしていました。現状に行き詰まり、如何ともしがたい毎日の中で、武蔵境から小平まで走っていました。考えない訓練というか、鼓動の中に入るというか。走り、歩き、整え、カレーを作り、寝る。結局現状は打開できず、むしろ悪化し何も残らなかったけれど、40歳の今、その時の感覚が自分を決めてくれていると感じます。小平駅の近くに林があって、古木があったんです。木は、動かない。動かない木を自分で感じると、また、自分に戻ることができた。絶対の自分の確立。

2016年2月7日日曜日

現今目前、聴法、無衣の道人、歴歴地に分明なり、いまだ曾て欠少せず

現今目前、聴法、無衣の道人、歴歴地に分明なり、いまだ曾て欠少せず(鈴木大拙著東洋的な見方p17)。全ての悩みは相対の中にいるから生じるんだよ。絶対の中に入れ、そうすれば全て解決する。ハタチのときから師事していた鈴木仁一先生は直接鈴木大拙氏より薫陶を受けておられた方で、16年間折に触れ指導していただきました。そこはかとなく私なりに理解したのは、自在の感覚です。今、ここに、いる自分の存在は、実在で絶対である。自由や自信というのは、とみに他律的で、他人の評価や言動に左右されがちであるが、自在は、つねに絶対である。絶対感を認め、自在を受け容れると、自然と自由が生じ、結果としての自信が身につくという具合です。冒頭句の意味は、いま、ここで、いるこの場で、ありありと全き自分なのです。いまだかつて欠けたことなんてないのです。さあ、ここから始めようという意味あいです。この感覚は、時の経過も、東洋西洋も超えて一定であると感じています。

2016年2月6日土曜日

大きな流れのようなもの

納得ができなくて、どんなに努力したつもりが空回りしていました。砂を噛むような毎日の中で自分がしていたことは、小さな目標達成を記録することでした。手帳に、行動事実と数字だけを記録し、状況と感情を一切書かないこと。そして、積み重ねること。次に、その行動事実と数字がなぜ、その行動事実と数字になっているかの理由を書く。その繰り返しです。効果は、ふわふわとした漠然とした不安解消から確実な原因の明確化につながることです。その積み重ねこそが、自分自身の絶対感となっていく感じです。ふと見渡すと、自分自身の絶対感だけに注力していたはずなのに、実はその絶対感は、大きな流れのようなものの中にいることと同一であることに気がつきます。

2016年2月4日木曜日

今日の試み

北の大地に居る友へ送ります。
今、ここで、ここから始める。その薄紙を重ねるかのような積み重ねをし続ける。友を想い、友が何を目指し、葛藤し、動いたのかに想いを馳せる。そして、己を振り帰り、いかに生きていくかの覚悟を決め続けること。我々は、螺旋の輪のように重なる祖先からの系譜のつづら折りの一部をなし、その持ち場を紡ぐために生きている感覚を持つ。生きて帰ってくると信じています。

2016年2月3日水曜日

融解する

決めると、進む。進むと波紋が広がる。波紋には、無論プラスもマイナスも生じる。そのとき、戻ってきた波紋をただ受け取ることが本当に大切であると感じています。ここに、融解が生じる仕事をする。イメージを色で表現するなら、黒と緑が融解し、蒼く染まっていき、真赤に昇華するがごとくです。自分が、自分として自在することを起点とした融解をすることの大切さです。