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2016年7月31日日曜日

事態を評価せず、ただ受け止めて大きな視座に立つ

事態を受け容れる。そして評価をしない。ただ受け止めて大きな視座に立てば、その事態そのものを巻き込むことができる。もっと大きく広い視点で、本来的な役割を果たすことが大切なのではないか?物事にはやはり正しさというものがあり、立場や主張を超えて在るべき方向性というものがある。その方向に向かって、お互いの違いを認め、融和しながら柔らかにしなやかに敢然と行動していきたい。

2016年7月22日金曜日

認めるということ

おかしさや不合理さを指摘されたとき、そのこと自体を認めるということが要諦です。受け容れず、認めず、反論を繰り返し、無視し、ひとの指摘を聴かなければ何も進歩しません。過去の事実は変えられないし、相手に求めても相手は変わらない。自分の意志決定で変えられるのは、自分へのおかしさや不合理さを指摘されたときに、そのことを受け容れることです。そうかもしれない、と思えるかどうか。その他人からの指摘を人間性についての批判と捉えては、無理解です。その指摘された事実と自分の思い込みを区別し、なぜその指摘を受けるのかをただ受け止めることができるか?それが人間の真価です。

2016年7月17日日曜日

地を所有する

地に立つ意味を考えるとき、依って立つところにある地から長く広く観ることにあると感じます。仮初めではない、地を所有する。その地から地域を観て、事を起こす。その所為こそが次の世代につながる価値を産んでいくと。

2016年7月7日木曜日

対峙ではない、関わりとは?

向き合い対峙するのではない、本当の意味での関わりとは何か?支配関係や好悪や悲憤を受け止めた上で、全体最適を企図することではないか?芯あれば、自ずとやるべきことは見えてくる。やはりおかしいことはおかしい。そのおかしさに対して、向き合うのではなく、結果として全体最適を企図すれば、感情を越えられると。

2016年7月4日月曜日

芯に対して入るということ

物事の中核を捉え、深く入っていく時、自分をモノだと思うようにしています。一個の結果を出すことを企図するなら、自分自身の存在意義に特に意味はありません。むしろ全体最適こそが肝要で、いかようにでも可変させていく。中核を捉え、集約する。巻き込んでいく芯を持つ。これが最も大切であると感じています。