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2016年9月25日日曜日

十字路で出会う

十字路で出会うタイミングを信じる。進むべきことに進み、向き合うべきものと向き合い続けると、あるタイミングが自然と訪れる。力を入れなくても、なるべくしてそうなるという大きな流れのようなもの。その流れに沿って行けば出会うタイミングが来るのだと。出会い、交感し、また分かれてお互いの持ち場を果たす。そのひとつひとつの結節点の大切さを実感しています。

2016年9月21日水曜日

若手経営者の挑戦=創業者と後継者の第二創業=宮城県中小企業家同友会 第13回経営研究集会 第5分科会 (青年部会設営分科会) http://miyagi.doyu.jp/




宮城県中小企業家同友会第13回経営研究集会
第5分科会は、青年部会設営分科会です。http://miyagi.doyu.jp/
若手経営者の挑戦=創業者と後継者の第二創業=
と題しまして、新事業と事業継承という二つの側面から第二創業の取り組みについて共有します。
私坪内も、座長を務めさせていただいております。
明日から頑張る決意をする機会にできるよう青年部会一同お待ちしております。ぜひご参加ください。
平成28年11月15日(火)
仙台パレスへいあん
〒980-0014 仙台市青葉区本町1-2-2
http://www.heian-sendai.co.jp/palace/sp/access/
13:00~14:40 全体会
15:10~18:15 分科会
18:40~20:00 懇親会
http://miyagi.doyu.jp/

2016年9月14日水曜日

自己の所為の意味

自分がストレス無く、すっとできるポイントが自分のストロングポイントである。その時、自分はそんなに頑張っていないので、全くその点が肝であることに気がつきにくい。
むしろ、自分が積み重ねて、頑張り切った点を評価してもらいたいと考えてしまいがちである。しかし、物事の求められている全体最適からすれば、前者の方が意義が深い。そのことがどんな時のどんな流れで生じるのか?その機微を掴むことが要諦であると感じています。

2016年9月12日月曜日

自問自答の意義

問いかけに対して、踏みとどまることができるか?人として、後ろ暗いことをしていないか?人の信頼を裏切っていないか?話に耳を貸さず、孤高のつもりでやり過ごすことは、至極簡単である。黒い所に落ちるのは、容易い。ドス黒いコールタールのようなものが自身の身体にまとわりついていると、払拭するには、物凄く大変な積み重ねが必要である。問いかけに対する、右か左か。その正しい決断の積み重ねこそが、人間の真価であると感じています。

2016年9月9日金曜日

場に対する波紋を起こす意味

思わぬ良い結果が出ることがある。場が熟し、意識が一致していく感覚である。本来意図していた方法や段取りとは全く違っていたのだが、本当の意味で、あるべき結果に達するということ。場に対する波紋を起こし、本質的な問題提起をし続けるからこそ、思わぬ良き結果を手繰り寄せることになると改めて気付かされた。

2016年9月8日木曜日

凪に於いても、立つ構えを執る

機が揃い、いざ立つと決めた時に、立てるか?それは、凪においても、立つ構えを執り続けて来たかどうかの集積。低い姿勢で、10年間黙っていたことがあるか?底から浮上する研鑽を積んでいたかどうか。40代を越えて、これまでの20代30代までの見えない積み重ねが本当の意味で誤魔化しの効かない結果となって表れてくる。それは、個人の努力の積み重ねだけではなく、支えてくださってきた周囲の人たちに対する敬意や義侠心を保つことと感じています。

2016年9月6日火曜日

インテグリティに欠けることをしないということ

人として、最も大切なことは何かといえば、おそらくは、後ろ暗いことのないことではないか。さまざまな積み重ねの中で、決断と選択がある。その結果として、ひととしてやってはいけないことがある。ばれなければ、うまくやれれば、と切り抜けているつもりでも、最終的には、そのツケを払わらなければならないことを経験的に感じている。人からの信頼に誠実に応え、感謝を行動でお返しし、とるべき責任を執ることに真摯に向き合うことがインテグリティではないか。インテグリティに欠けることをしないということが、本当に人としての価値だと。

2016年9月5日月曜日

2016.9.5 坪内経営法務事務所10年ビジョン

1、事業者の経営判断形成の基礎づくりに貢献します。
2、事業者を支えるシンクタンクとしての信頼の基礎を固め、進むべきグランドデザインを構築します。
3、事業者と行政をつなぐ技術・経験・計画立案を蓄積することによってグランドデザインの実現可能性を高めます。


2016年9月1日木曜日

一点突破が、面になるとき

志向性を持ち、受け容れ続ける。理不尽や無理解や感情も超えて待ち続ける。ある正しさに向かって一点突破を志向していく。ある流れの、あるタイミングを共有するとき、必然的につながるものと感じます。つながる線が一定の面となり、為すべきことと向き合うことこそが同時代を生きる意味ではないでしょうか?