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2021年2月28日日曜日

 流れに沿うということは、どういうものか。いわば、力が抜け自然な感じでそうなるべくして成るという具合。意志を持ち、全体を志向し、確かに動く。それでも流れに棹差すことも起きる。そのまま受け容れながら、本当に大切な真摯な部分を堅持すると、大きな流れと符合するときが来ると感じています。決して迎合では無い、一個の筋が通った流れというもの。

 対岸をも引き寄せ、ことに当たる。意見の違いや、価値観の違い、感情のぶつかり合い。そんな対岸を目の当たりにしたとき、突き放したくなることがあるはずです。しかし、その対岸をも引き寄せ、ことに当たるとすれば、結果は大きく変わるのではないでしょうか?強い意志と、受け止める力と、巻き込む流れと。大切なのは、目指すべき結果に対して為す、無私なる形式ではないか。

2021年2月27日土曜日

 試みにその通りと受け止めてみて、その様を積み重ねること。大きな流れのようなものがあって、時に激しく叱責されたり、批判にさらされたりする中で、試みにその通りと受け止めてみて、その様を積み重ねていくと、大局の大きな流れに沿っていることに気づくことがある。大きな流れのようなものを自分の一部としていくか、もしくは自分が大きな流れのようなものの一部を成すか、そのあたりの感覚が大切であると感じています。

 思わぬ良い結果が出ることがある。場が熟し、意識が一致していく感覚である。本来意図していた方法や段取りとは全く違っていたのだが、本当の意味で、あるべき結果に達するということ。場に対する波紋を起こし、本質的な問題提起をし続けるからこそ、思わぬ良き結果を手繰り寄せることになると改めて気付かされた。

2021年2月26日金曜日

 ハタチのとき師事していた鈴木先生にこんなお話をされました。木の周りに木を守っている木の精がいます。それに対して、木こりは、木を切って、材木にしようとしております。木こりがどんなに頑張って木を切ろうとしても、木の周りをぐるぐる周る木の精のせいで全く木を切れません。なぜなら、木の精は、木こりの動きに合わせて縦横無尽に対応できるからです。そのうち、木こりは疲れて諦め、帰ってしまいました。すると、木の精は、木の周りをぐるぐる周って頭をぶつけて死んでしまったというのです。鈴木先生は、その木の精が、まさに今のお前さんだよ、とおっしゃいました。そして、すべての悩みは相対の中にいるから生じるのだ。

絶対の中に入れ。
そうすれば、全ての悩みは解決する、と。

 志向性を持ち、受け容れ続ける。理不尽や無理解や感情も超えて待ち続ける。ある正しさに向かって一点突破を志向していく。ある流れの、あるタイミングを共有するとき、必然的につながるものと感じます。つながる線が一定の面となり、為すべきことと向き合うことこそが同時代を生きる意味ではないでしょうか?

2021年2月25日木曜日

 40代になります私ですが、20代30代と自分が定まらない不安と葛藤を繰り返してそれでも、裸足でアザミを踏みつける毎日を過ごして参りました。ふと、22の時の文章を読み返したら、プラスの自分もマイナスの自分もすべて肯定している自分を見つけました。それは、新鮮な驚きです。あのときは、自分の思索の枠の中だったけれど、実体験を重ねた今は、別の感じ方をしています。

 「では、混迷の我々にとって、我々を位置付けてくれる裏打ちとなるもの、そして、その背景にある思想は何なのでしょうか?それは、歴史=時間軸なのではないでしょうか。連綿と受け継がれてきた世代の積み重ね、こうなるべくして、次々と生みつがれてきた先祖たち。そういった者たちと我々は、分断しては捉えられない。決して、平面思考では位置付けが明らかになれない我々も、時間軸を与えれば、自ずと静かに場所が決まるのです。これを、俺たちは、忘れているのではないか?1998.2」